(9-20-01)
今日、子どもといっしょにアクション映画を観ていました。 ギリシャ神話のエピソードが話されるシーンがありました。 “キメラ”というギリシャ神話の怪物を後世の画家が描いた絵が映されましたが、興味深いことに 顔がライオン、尻尾が毒蛇というものでした。 エホバの証人の方ならすぐに思い起こされるでしょう。 啓示の書に登場する怪物と非常によく似ています。 わたしたちはこれを、現代のわたしたちの伝道活動で使われている出版物であると教えられてきた ものです。 そう信じる人もいるでしょう。 しかし、こう考える人もいます。 すなわち、 ・ギリシャ神話が1世紀当時の民衆に一般的に馴染まれていた。 ・ヨハネは実際に精神病を患っていたか、一時的に非常に不安定にあったか は今となってはわか らない。 ・しかし幻想か妄想を見るにあたって、よく記憶に馴染んでいた“キメラ”が彼の幻覚に登場した。 そのエホバの証人の出版物にはかつてこのような記事が紹介されました。 *** 塔96 10/1 p.4 夢を見ることは必要 *** 夢と人間の脳に関するある本には,こう述べられています。 「睡眠における最も一般的な精神活動の形態は,夢ではなく,思考である。睡眠時の思考は感覚的幻 想を伴わず,空想的なものでもない。その思考 の傾向としては,ごく平凡で,多くの場合前日あるいは翌日の実生活の出来事と関係がある。また,通 例,新鮮味や創造性がなく,反復的である」。 つまり夢というのは、人が知らないこと、記憶にないことをその人自身に啓示するものではない、 ということです。「反復的」なのであり、「創 造的」なものではない、ということです。 本当に神はヨハネに啓示を与えたのでしょうか。 多くのエホバの証人はそう信じます。 というのは、 *** 聖8-参 テモテ第二 3:16 *** 16 聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。 しかし、その前に啓示の書が「神の霊感を受けたもの」として認める前に、病理的な妄想ではない という証拠がいるのではないかと思う人もいる のです。エホバが霊感を働かせて人間に啓示を与えるということへの信仰が欠けているからでしょ うか? しかし聖書にはこのようにも書かれて いるのです。 *** 聖8-参 ヘブライ 11:1 *** 信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。 ですから、まず *** 聖8-参 使徒 17:11 *** 11 さて,[ここの人たち]はテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な 態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりか どうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。 それがそのとおりであるかどうか調べようとするのは、何も問題はないはずです。 ものみの塔はその出版物の中で、この点を十分に論じたでしょうか。 わたしは今、聖書が 「すべての点でまったく正確な書物」という前提を再吟味しています。 エホバの証人の場合はこれが非常に重要だと思います。 ものみの塔協会はその独特の聖書解釈に沿って生活を設計してゆくように、強く要求するからです。 男の子たちにろくに学校にも通わせず、「奉仕の特権」への推薦をえさに半端仕事をさせるよう調 教するからです。 今はどうでしょう? 世代についての解釈が再々撤回されました。 自分たちの生きている時代にハルマゲドンが来るのだから、という理由でフリーター暮らしを行っ てきた人たち、彼らにどの顔を向けたでしょう ? 知らん顔です! これでは協会の偉い人たちの動機に疑いがさしはさまれてもしようがないのではないでしょうか。 みなさん、長年信じてきたことの正体を知るのは確かに恐いことかもしれません。しかし、子ども たちのためにも自分が勇気をもって現実と向き 合わなければならないのではないでしょうか。
《編集者より》
前回のあなたの投書(「不良開拓者」を自称する方からの質問)と同様、大変興味深い視点であると思います。前回のあなたの投書に対しても書きましたが、多くの預言の中に特殊な脳の生理的あるいは病理的な要素があることは間違いないと私は思います。ヨハネがギリシャ神話にヒントを得たかどうかは聖書学者の研究に任せるとしても、イエスも使徒も含めて当時のパレスチナ全体が、ギリシャ・ローマの文化の影響を受けていたことは誰も否定できません。啓示の書も含めて、多くの預言書は、当時の特殊な歴史文化の背景の上に、特殊な精神的体験(それが病気か正常かは簡単には言えませんが)をした人々が書いたものであることは、私もその通りであると思います。
なお、あなたからはもう一通、非公開の希望で投書を頂きました。大変興味深い内容であったので公開したかったのですが、もちろんあなたの希望通り非公開にさせていただきました。ただ、ここで私のそれに対する感想を述べさせて下さい。
あなたは、聖書の中核となるメッセージが何かを先ず論じていられましたが、これは、聖書全体をどう受け止めるかによって、人により違うでしょう。あなたの言う、「神の実在と、その神による終末預言」が中核となるメッセージであるというのは、エホバの証人の聖書の受け止め方ですが、それ自体解釈の問題と言うこともできるでしょう。神の実在に関しては問題は無いかもしれませんが、終末予言に関しては聖書の普遍的メッセージであるのか、それとも聖書の書かれた特殊な時代に対するメッセージであったのか、意見が分かれるでしょう。あなたも前回の投稿に書かれた通り、終末預言が精神病の症状のひとつとしての「世界没落体験」によって書かれた可能性は否定できません。聖書の書かれた時代から時間が経つにつれ、歴史の流れそのものが終末預言の普遍性を弱めていることは、神が知っているのではないでしょうか。実際あなたが上に書かれたことは、啓示の書も含めて終末預言が聖書の中核メッセ−ジではないことの大きな理由ではありませんか。
あなたは、私が聖書の中核メッセージは道徳基準であると考えていると思ったようですね。道徳基準は中核となるメッセージかどうか、これも事柄によるでしょう。例えば、奴隷制が道徳的に倫理的に受け入れられるかどうか、これは聖書の時代の基準を現代に当てはめられない良い例でしょう。女性差別も同じ事が言えるでしょう。あなたがエホバの証人として忘れがちな聖書の中核となるメッセージは、キリストによる罪の購いとキリストと隣人への普遍的愛でしょう。私はこれは時代に関係なく、また聖書の筆者が精神病であったかどうかに関係なく、永遠に生きつづける中核のメッセージであると思っています。
聖書の中核のメッセージに関してはあなたと私とは意見が異なりますが、私はあなたの全体としての結論には賛成です。少なくともエホバの証人の教えの中では、終末預言はその中核であり、現代の統治体の指導体制の絶対的な権威の支えとなっています。終末預言が精神病の産物であったか、あるいは聖書の書かれた特殊な歴史的環境を反映したメッセージであったかに関わらず、信者を絶対的にコントロールする宗教の多くがこれを使ってきたことは(例えばテキサスで集団焼死事件を起こしたブランチダビデアンのデービッド・コラシュの話はほとんどが啓示の書に基づいていました)、現在のものみの塔の支配体制を理解する鍵となると思います。