(9-24-01)
先々月、「盗人まがいのものみの塔」−・・についての投稿をしたものです。 ウェブマスターより「過激な言葉遣いが見られます」と言うご指摘でこの掲示板にふさわ しく無い表現の言葉遣いの文面を書いたかもしれないことをお詫びいたします。しかし 会話の言葉はその通りですし今回私どもの会衆になされた諸成員無視の行いを私は全 く許せませんしキリストの愛の律法に反する行為で今でも激怒しています。この仕打ちの 弁済をぼんくら臆病長老どもとその上のものどもにと考えています。 ところでほとんどの方は今年の「神の言葉を教える者」地域大会に出席された事と思います。 いかがだったでしょうか、特に毎年の地域大会で印象に残るのは「劇」の上演です。 特に今年の劇は協会の強引なキリスト無視のやり方が顕著に現れたものではなかった かと考えました。劇の主題は「エホバの権威に敬意を払う」という主題でモーセを通して エホバ神に逆らったコラ、アビラム、ダタンとそれに対してモーセに従順だったコラの息子達 の対照的な場面を示した劇でした。劇自体は真実のことで全くその通りですがその後 注解の云々が全く持って適用がちぐはぐでちゃんちゃらおかしいと言う事です。 注解者は主に6つの点を強調していましたが(これは協会からくる文章のままを言うのですが) 全く間違っていたのは第一の点で 1−エホバに忠節でなければならない。 *これは当たり前であってクリスチャンなら誰でもそう願っていますし行動したい と思っています。ところが話し手は「今の会衆の任命された人たちにも忠節でな ければならず、・・諸会衆に任命されている監督達は聖霊によって任命されて いる・・・・・私たちは言葉と行いにおいて指導の任に当たる任命された人たち が下した決定に逆らわないようにしなければならない。」と言ったのです。 なんと言うことを言うのでしょうか、神を侮るのもいい加減にしろといいたいです *この説で気づいた点は現在の諸会衆の十把一絡げの霊的に未熟者で世間 知らずの長老ども(巡回地域男なども含む)を大いなるキリストとも称されてい るモーセと同じレベルに持ってきている。何という神への不敬な見方でしょう また古代のその時代ではコラ、アビラム、ダタン、なども立場の重い監督だった のです。それですべての長老が聖書的な判断を下すとはとうてい考えられな いし実際そんな能力も特質もない長老ばかりなのです *さらに長老どもが聖霊で任命されているとはどんなことなのでしょう。 使徒20:28の「聖霊があなた方をその群れの中に監督として任命したので す」と言うつもりでしょうがこれは1世紀のクリスチャン会衆を設立する時の為 のものでキリストの霊がそうさせたのです。しかし今は長老団の推薦にほかな りません聖霊でも何でもありません。ただの判断力のにぶ〜〜い頭の回らない 男どもです。皆さんがそれぞれの会衆長老と接して経験されている通りですね *また「決定に従わなければならない」と言っていますがねその決定が聖書に 照らして(協会からの手紙や出版物ではない)合致していれば従う必要があり ますが聖書的でない決定に従ったならモーセの時代のコラの決定にしたがった 者達のようになります。エホバから見放されてしまいます そして飛びまして・・ 3−任命された男子に不完全な点があるとしても、それはその権威に対して不敬な 態度を示す正当な理由にはならない *いつも間違いをする長老がたくさん見受けられるのは皆さんご承知の通りです みすみす間違いであるのを黙ってみて従うのがエホバに従順を示す事だそうで す。馬鹿にするのもいい加減にしろ!! 間違いは間違いだとはっきり指摘し意地になってその監督が物事を遂行するな ら従う必要はなし、反対に正してあげるのが聖書的で親切なのです。それでも しないなら後は聖句にあるとおり会衆の問題として扱うべきです *話し手は「エホバはその人の(監督)の欠点を気にかけておられない対応出来 ないと言っているのと同じである」といいました、皆さんいかがですか、いやな 欠点を持つあるいは間違ったことを行う軽率な長老のその性行は直りました か?ず〜っと以前のままのはずです。そういう男は長老として不的確で1分 でもはやく降ろさなければなりません、自分たちの不義を棚に上げてそれをエ ホバの辛抱を利用して無理に従わせようとするのは持ってのほかでそれこそ 神に対する不敬です。会衆の成員は大辛抱大迷惑だ 「神が行動されるまで待つ」とよく言いますがそうしたことは自分たちの組織 の責任でエホバが関与される事柄ではありません。自分たちがしたことは自 分達で責任を負わなければなりません。 それぞれの強調点を扱うと長くなりますので・・ 結びとして話し手は「エホバが許しておられるどんな取り決めにも謙遜に服しどんな状 況の中でも神の権威に忠節に服してゆきましょう」と言ったのです 神が取り決められている事柄すべては聖書に収められています。エホバの証 人が日常行っている事柄はエホバではなくものみの塔協会が取り決めていま すし会衆の事柄はぼんくら揃いの長老団が取り決めています。 どちらも聖書に乗っ取って取り決めていると言いますが全く持ってちぐはぐばか りです。個人的に良く聖書を研究し間違った道に走らないようにしなければなり ません、コラに従った人々のようになりたくはありませんね。 そこで今回、協会が強調したいと考えたことを洞察しますと「エホバの証人すべてをた やすく操る為に考え出された」劇と注解と思えます。 協会側としては諸会衆の長老を思い通りに操るのはいとも簡単「操り人形」と同じです それで一般諸成員がそれに従うように強要するためのプログラムではなかったかと考 えます。操り人形の操り人形にならないように注意しましょう。自分で培った聖書の知 知識、知恵、識別力、洞察力を働かせて何がエホバからのものか、どれがエホバのご 意志かなど自分自身で判断しましょう。 今回の地域大会で特に感じた点を述べてみました。それではこれで失礼します。 P98より
《編集者より》
私が興味を持つのは、協会が組織をエホバとすりかえて服従を要求するこの同じテーマは、いつも壊れた古いレコードのように繰り返されますが、余りにこれを繰り返すと、そのことが返って今まで疑問を感じずに盲従していた証人に、立ち止まって考えさせるきっかけを作るのではないか、ということです。ものみの塔協会は、「世代」の解釈を変更して以来、自分たちの組織をエホバの名によって権威付ける新しい材料がありません。従ってモーセとコラたちとの関係を繰り返し使うしか方法がないようです。いつまでこのようなこじつけだけの権威がエホバの証人を支配しきれるのか、興味を持って見ています。