(10-07-03)
最近の投書を見ていると、証人だった時期に受けた心の傷に 今尚、悩んでおられる方の多いことに私も胸が締め付けられる 気持ちになります。特に、二世で虐待を受けた方の恐怖心は 同じ立場の人でないと理解しにくい分野だと感じます。 私も子供にムチをしてきましたが、頻度としては低い方だと思って います、うそをついたり、約束をやぶったりという人間として大切な 点をないがしろにした時に与えてきたので、一般の親のレベルとさ ほど変わらないと思います。ですが、二世の方たちの経験を読むと 虐待のレベルのムチの多さに驚いています。会衆や年代によっても 差があるのでしょうが、組織の責任は重大であると感じます。 傷ついて、新しい人生を出発された方の中には、幸せを感じている 方もおられます。どうぞ、今の生活や周囲の方々に感謝しつつ、自 分を大切になさってください。私たちは、マインドコントロールで「自分 を犠牲にしなさい」と刷り込まれています。それを行っていくと、自分 がボロボロになってしまうことが多いのです。自分が幸せでなくて他 人を幸せにすることが出来るでしょうか? この幸せとは、自己中心的な幸せという意味ではありません。周りの 人を思いやることのできない人が、真の幸福を得られるわけはないで しょう。でも、私たちが幸せに生きていることが、周囲の人に「何故、彼 女は幸せな生き方ができるのだろうか?」と考えてもらう材料にもなり 得ます。特に、信者の家族に与える影響は大きいはずです。わたしも 信者である娘の将来を案じながらも、私自信が幸せな生き方をしていく ことが、語らずとも多くを教えることにつながると思っています。 大勢の組織から離れた方が幸福な生き方を見出されるよう願っております。
《編集者より》
外にある「光」を求めてさまよい歩くエホバの証人は、「増し加わる光」として協会から与えられる光を頼りに生きている人々ですが、その実態は光が増し加わるのではなく、時には暗くなり、時には影になり、とても信頼性のない「光」で、それだからこそエホバの証人はいつも不安神経症のような生活をしているのだと思います。これに対し、内に「光」を持ち続ける人は、外の「光」がどうであろうと、いつも内側から「光」が出ているので、どんな時にもその人の「光」は影に入ることはありません。そのような人はエホバの証人の中には稀か皆無に等しいでしょう。従って、内に「光」を持ち続ける人は、きっとエホバの証人から不思議の目でみられると思います。七転八起さんの「私たちが幸せに生きていることが、周囲の人に『何故、彼女は幸せな生き方ができるのだろうか?』と考えてもらう材料にもなり得ます」と言う言葉は、言い換えれば内に光を持って外を照らすことが、外に光を求めて内側が真っ暗なエホバの証人たちに、新しい光を見せることになる、と言うことではないでしょうか。そしてそれはマタイ5:16はそのようなことに言及しているのだろうと私は思っています。