(11-29-99)
初めて便りを出します。いつもエホバの証人に関する客観的な情報をいただき、感謝の念 はなにものにも変えがたいほど大きなものです。エホバの証人の人たちと真正面に対応す るのに役立ちました。大変感謝しています。 現在代私は40才代後半です。仕事は事務系です。家族は妻と長男、次男の4人家族で す。私の妻は10年前にバプテスマを受け、私も当時しぶしぶ研究生になりました。私は 2年ほど前8年間の研究生活をやっと終えて、エホバの証人の世界にほぼ決別できました。 幼少時からエホバの証人と付き合っていた子供たちも、私の強い態度や妻のとまどいに押 され離れることができました。妻についても努力していますが、1度バプテスマ受けたた め、懐疑的な面も見受けられるようですが、当分離れることは無理でしょう。 私がこれまで感じた特に日本人のエホバの証人の人たちへの意見を記します。 1 社会経験を積んだのち、バプテスマを受けエホバの証人になった方は、本当に善良な 方たちばかりです。しかしながら、失礼ながら、「宗教」を支えとしなければならない何 かの理由が自分自身にあるようです。例えば、親の強権や放置などにより形づくられた性 格的な弱さ。人に言えない一生の肉体的、精神的苦しみ。過去自分にも責任ある結果とし ての社会的な疎外感。失った精神的支柱(生きがい)への代償(主婦に多い)。妻がなっ たため追随した善良な夫などなど。これらは、周りのエホバの証人の兄弟たちを観察する ことからばかりでなく、今も続いている私の妻との対話からも多く得て感じています。 善良さ故か、長老や監督さえも、世間の基準から見て子供っぽく感じます。そして俗っ ぽい人たちから離れているためか(逃げ出している気もしますが)、指導者よりも孤高の 仙人のごとくです。 2 一番心配しているのは、日本の2世たちです。アンバランスな面が大変目立ちます。 そして、やがてエホバの兄弟と姉妹は付き合い、結婚します。その子供たちはどうなるの だろう。現実には、聖書から導き出される普遍的真理を自分の生活の基本に置くよりも、 周囲の長老やエホバの書物から来る教理を無理して自分へ適用していることが多いから心 配になります。その結果教育について言うと、大学進学を最初から考慮しないか、大学を 中退してしまう。伝道や奉仕を優先させ労働時間が少なく自由がきく簡単な仕事にしか就 かない。研究といっても神の教えについての議論や討論は避け、宗教の普遍的原理には無 頓着で(本人の気持ちは結構そのつもりかも知れないのだが)、エホバの証人の教理や親 や周囲の意見、慣習を鵜呑みにしてしまう。本音や裸の自分を見せれるのは兄弟か研究生 などしかない。そしてその時は大変俗っぽいのです。 3 乳幼児や幼い子供たちを連れまわしたり、伝道さえ当然させるのもどうかと思う。会 衆の公開講演や研究中に言うことを聞かない子供は今もゴムホースのむちを使うことを当 然とする会衆は今もあるのだろうか。先進国は児童虐待について、法規制するさまざまな 意見がでてきた。伝道のような宗教活動を、嫌がっても普遍的原理のわからない子供にな ぜさせるのだろう。(兄弟姉妹である親はすぐに喜んでやっていると結論出す。ピクニッ ク気分?いやまさにピクニック気分のまま伝道しているのだろう。) 4 エホバの証人は本当に聖書を読んでいるのだろうか。彼らはあなたは聖書を知ってい ますか。研究しましょうと言う。しかし王国会館での講演はテーマに沿った聖句のオンパ レード。結局マニュアルである「ものみの搭」など出版物に書かれてある指導者の教理の 復唱だけでないのか。聖書を読むというのは、聖書を何度も読み返し、さらに聖書に書か れていない行間を読む。牧師など誰かに助言はしてもらうが、最後はつまり自分で理解す ることでないだろうか。エホバの証人のものみの搭聖書冊子協会本部の見解=聖書という 認識は果たして聖書を研究することなのだろうか。 以上やや私の性格から性急でわかりにくい若しくは一方的な文面になったことをお詫びし ます。でもこれが私の率直な意見です。私は特定の宗教を信仰していませんが、人一倍宗 教心は持っているつもりです。 匿名希望
《編集者より》
私もあなたの見方に同感です。聖書の解釈と見方については、聖書は組織の書物であり、個人で理解するものではなく、組織が証人のために解釈するべき書物であるとものみの塔は教えています。この点はエホバの証人の宗教の本質を理解する鍵であると言えます。